70年前のお雛様
2019年 02月 10日
父が用意したお雛様。
70年前のことだ。
あれから姉には娘が生まれ、新しい雛が用意され、実家の母もだんだん年を取りお飾りをする体力もなくなり、納戸にしまわれてしまったお雛様。
父も母もなくなり、姉の家の納戸にしまわれることになったが、その姉もなくなり、
処分することになる寸前に、私が受け継いだお雛様。
それもバタバタの毎日で、本番が何より大事!と駆けずり回っていた私にこのお雛様を飾るという頭が全然なかった。
最近お雛様が呼んでいらっしゃるような気がしてならない。
清里の納戸に放り込んでいたお雛様。
東京に持って来て、普段は絶対物を置かないピアノの上に、並べてみた。
姉は昭和23年の生まれだから、終戦からたったの三年しかたっていない。
だんだん飾りで(三人官女と五人囃子が見つからない!どこにやったのかしら?)
用意した父は戦後のどさくさ時代としてはすごかったなと思う。それだけ姉への思いが強かったのかもしれないね。
さすがに70年の月日の重みに耐えられず、お道具などは疲れているが、お雛様お内裏さまの、お顔の品のいいこと。美しいこと。
そういえば姉が生前「娘に用意したお雛様よりも、こちらの方が戦争の後の夢や希望を織り込んだみたいな職人さんの気合を感じる。もう色は褪せて入るけど。それにとっても品がいいの。」と言っていたのを思い出す。
私がこのお雛様と対面したのは何年ぶりだろう。40年はたっているだろうか。すっかりその存在も忘れていた。
母か姉が包んだお雛様の紙の覆いを外して、お顔が現れた時、「ふふっ!」と微笑まれたような気がした。
「ふふっ!pianochikaちゃん、久しぶりだね。元気?」
と言われたような。(こんな現代言葉ではないだろうけど)
ああ、子供の時のままだ。
変わらずにいてくれた。
赤ちゃんだった私は、お雛様の赤い毛氈のだんだんに登ってしまってあわや!ということがあったり、お雛様のお供えをお雛様と一緒に(しかもお飾りのお道具を使って)食べていたり、散々なことをしていたみたい。ごめんなさい。
それにお雛様って、幼女の私から見ると大人のヒトで、ずっとおばさんだと思っていた。
こんなに若いヒトだったとは!
なんだかここから離れたくない。
話すことがいっぱいだ。
お会いできてよかった。
ほかのヒトたちはどこに?おーい三人官女さんたち、五人囃子さんたちー!
まだ清里の納戸かしら。五人囃子さんたちはまだ練習中だったりして!音が取れてなくてもいいから出ておいでー
綺麗な冠の付け方がわからない。
とりあえず後でゆっくり飾り直そう。
写真も撮りなおしましょう。